『コードギアス 反逆のルルーシュ』と『デスノート』は、お互いかなり似ているということで、よく比較対象になります。
中には片方がもう片方のパクリであるという人もおり、両者の比較は当初から物議を醸していますが、この記事では筆者独自の視点から、『コードギアス』と『デスノート』の主人公について類似点と相違点を分析し、徹底的に比べます。
『コードギアス』と『デスノート』の主人公はここが似ている!
『コードギアス』の主人公・ルルーシュと『デスノート』の主人公・夜神月には、たくさんの共通点があります。まずは、どんなところが実際似ているのか、検証していきましょう。
主人公が知的なダークヒーロー
唐突だけどデスノートの夜神月とコードギアスのルルーシュが組んだら最強な気がした。 pic.twitter.com/MqQXwtpvyc
— HAL@劇場版艦これを劇場で15回見た人 (@hal05215588) 2018年7月9日
ルルーシュと夜神月の人物像は、とても似ています。例えば、両者とも頭が切れ、その天才的な頭脳を駆使して戦います。二人とも主人公とするにはかなり卑劣な手段を使う人間で、物語を通してたくさんの人を殺しますし、戦いに際して卑怯な手を使うことは厭いません。
加えて、主人公が仮面を使って、正体を隠したまま敵と戦うという設定も、とても良く似ています。ルルーシュが持っているのは、黒の騎士団CEO「ゼロ」としての仮面。夜神月の場合は、法で裁けない悪を裁く「キラ」という仮面です。二人とも、この仮面を使って日本のみならず、世界を混乱に陥れていきます。
ちなみに、その仮面の裏側は学生である、という面も両者において同じです。
二人が所有する邪悪な力
ルルーシュと夜神月はどちらも邪悪な力を持っています。ルルーシュが持っているのは、ギアスと呼ばれる人を思いのままに操る絶対遵守の力。
夜神月は、デスノートという一種の殺人兵器を所有し、結果的に名前を書けば人を殺せるという力を持っています。実は、この二つの力はよく似ていて、ルルーシュはその力で人を殺すことができますし、デスノートを使えば人を操ることだって可能です(最後にはその人間が死んでしまいますが)。どちらとも、人の意思を捻じ曲げるという点で、王道主人公ならまず使わない力でしょう。
主人公が最後に死ぬ
ルルーシュの最期#お前らガチ泣きしたシーン晒せよ pic.twitter.com/RMulzENjoT
— とり (@quattro3478pen) 2017年5月20日
物語の結末が主人公の死であるというのも、この二作品の共通点です。主人公が死んで終わる作品は少ないので、視聴者(読者)にとってもかなり衝撃的な展開だったのではないかと思います。
『コードギアス』と『デスノート』の主人公はここが違う!
ここからは、『コードギアス』と『デスノート』の相違点についてのお話になります。数多くの類似点を持つルルーシュと夜神月には、一体どんな違いがあるのでしょうか。
ルルーシュと夜神月の目的
童貞のまま死ぬと神になれるんだったら
童貞卒業<<<<<<新世界神になる pic.twitter.com/aZ6WEnFRjL
— カ ネ ま る (@kaneO_1122) 2018年8月9日
ルルーシュと夜神月は、結果的に両者とも世界が良くなることを望んでいますが、その本質的な目的というのは、実はかなり違ったところにあります。
ルルーシュは、妹ナナリーが望む「優しい世界」の実現と、母親マリアンヌを殺害した犯人への復讐のために「ゼロ」の仮面を作り出しました。この二つの目的はどちらも、「強者が弱者を支配する」という現実に怒り、そんな世界を優しい世界に変えてしまいたいという願いから生まれおり、大切なものを奪われた悲惨な過去と、強者に虐げられている人々を思いやる気持ちがあるからこその目的だとも言えます。
対する夜神月は、犯罪者のいない新世界を作り、あの有名なセリフの通り、「新世界の神」になるために「キラ」となりました。元来夜神月は、世の中には生きる価値のない人間がいるという考えを持っており、そのような人間を排除し、価値ある人間のみで構成される世界を創造したいとの思いが夜神月をキラたらしめています。
両者を比較すると、ルルーシュの目的は他者への思いやりから生まれたのに対し、夜神月の目的は、自分の思う正義を実現したいという、完全に利己的な願望であることがわかります。
人間的なルルーシュとサイコパスな夜神月
ルルーシュと夜神月の違いは性格や人間性にも見られます。
ルルーシュは、目的遂行のため、卑劣で残酷な手段をとっていきますが、その反面、罪悪感に苛まれ、大切な人の死に悲しみ、時には涙を流しながらもがき苦しむという人並みの心を持っています。しかし、自分の作戦のために死んでいった人のためにも、もう後には引けないのだと自分を戒め、必ず目的を果たすとの覚悟を強めることで、心を痛めながらも自らをさらに非情な人間に変えていくのです。
コードギアスは見るべき
主人公ルルーシュが母と妹のなんでナナリーのために大国ブリタニアと闘う内に大切な仲間達が死んでしまい、最後には自分を犠牲にして世界を平和にしようとしたお話だからです。東京喰種とか好きな人は好きなはず#コードギアス反逆のルルーシュ #東京喰種 pic.twitter.com/c5q7Wju0ha— 爽 (@QDOWJYsVQz2tCS4) 2017年4月24日
ルルーシュに比べると、夜神月の性格はあまり人間的ではありません。夜神月の行動原理は、犯罪者は消えるべきだという捻じ曲がった正義感にあります。そして、この「正義」に基づいた人殺しであれば、デスノートの使用も悪ではありません。実際、夜神月自身デスノートを使うことに快感ややりがいを感じている描写が多々見られます 。確かにデスノートを使い始めた頃は、精神的に疲労していたものの、ルルーシュと違って非情になることに抵抗がなく、計画を果たすためならばどこまでも冷徹になることができます。
Just as planned.
計画通り #Death note
This was as I planned. This was as I expected. など言い変えれます。 pic.twitter.com/G9nNnpHqfb— ヴァンプ卿(シャドバ垢 (@anime_English10) 2017年11月6日
結論として、ルルーシュは優しさと覚悟を持ち合わせていますが、夜神月は自分の正義感に取り憑かれたサイコパス的な人格の持ち主と言えるのではないでしょうか。
魔神ルルーシュと正義の夜神月
『コードギアス』では、作品の題名などでルルーシュは「魔神」などと比喩されていますが、ルルーシュ自身も自分が悪の存在であると理解しています。「悪を成して巨悪を討つ」との名言にもある通り、ルルーシュは、巨悪を倒すためならば悪の道に進むことも必要であるという考えのもとに動いているのです。
一方で夜神月は、自分がデスノートを使って行なっていることは正義であると純粋に信じています。この点がルルーシュとの大きな違いであり、 人殺しが正しいと思い込んでLとのデスゲームを楽しんでいる夜神月は、客観的に見れば悪として映ります。
つまりは、この「正義」に対する考え方から両者を比べると、ルルーシュは、「悪の仮面を被った実質的な正義」であり、夜神月は「正義の仮面を被った実質的な悪」と考えることができます 。
二人の死の意味
最後に押さえておきたいのがルルーシュと夜神月の死について。二人の死は、色々な意味で正反対になっていて、比較をするとその違いは一目瞭然です。
まず、ルルーシュの死は 、自ら計画して仕込まれた美しい死でした。対して夜神月の死は、最後まで生に執着し、リュークに媚びたまま死んでいった醜い死です。
ルルーシュは、自ら死によって罪を一身に背負いました。対して、夜神月 は、死神リュークによる裁きによって、罪の代償を払う結果となりました。
そして、ルルーシュの死は、より平和な世界を実現しましたが、夜神月の死は、世界を元の犯罪まみれの状態に戻しました。言い換えれば、ルルーシュの死は、ルルーシュが目的を成し遂げた証であり、夜神月の死は、夜神月が目的を成し遂げられなかった証となったのです。
(個人的な)結論
最初に言わせてもらうと、筆者は二作品とも素晴らしい名作だと思っています。しかし、その上で筆者独自の視点からこの二作品を比較すると 、『デスノート』はヴィランをそのまま主人公にした作品であるのに対し、『コードギアス』はヴィランとは言い切れない、絶妙なバランスのヒーローを作り上げていることから、後者の方が主人公に関しては優れていると言わざるを得ません
投稿者プロフィール
- コードギアスが大好きな現役大学生。
アメリカに留学中で海外にアニメ好きの友人が多数。
趣味はバスケットボールと映画鑑賞で、幼い頃から大のゴジラファンである。
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